上田市「長谷寺」真田幸隆・真田昌幸の墓

上田市真田町にある長谷寺(ちょうこくじ)は、真田幸隆(幸綱)夫妻と真田昌幸のお墓、真田幸村(信繁)の供養塔があるお寺です。

天文16年(1547年)に真田幸隆が真田家の菩提寺として「長谷寺」が建立されました。長谷寺の名前の通り、長い谷の奥地にあるお寺です。

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長谷寺の歴史について

前述でも述べたように、天文16年(1547年)に真田幸隆により「真田山種月院長谷寺(しんでんさんしゅげついんちょうこくじ)」として建立されました。

その後、天正16年(1588年)真田幸昌により、父幸隆の冥福を願い、長谷寺の増築改修を行い諸堂を完備したが、慶長5年(1600年)第二次上田合戦の際に、退却する徳川勢に火を放たれ長谷寺は焼失しました。

その後、再建されたが、寛保2年(1742年)の台風の際に土砂災害あったり幾度に渡り災害に逢い、宝暦7年(1757年)に火災により焼失しましたが、14代雄峰和尚により再建され、明治23年(1890年)1月10日の火災により貴重なものを含む全てのものが焼失してしまいました。

現在の本堂は昭和53年(1978年)に再建され、庫裡(くり)や位牌堂(いはいどう)は平成元年(1989年)に再建され、鐘楼(しゅろう)は平成20年(2008年)に建てられ現在に至っています。

真田幸隆・真田昌幸の墓に行くまで

駐車場は、第1から第3駐車場まであり、20台程車を停められるスペースがあります。

今回、そこまで混んではいませんでしたが、私は第2駐車場に車を停めて歩くことにしました。

入り口には、左右合わせて6体のお地蔵さんが出迎えてくれます。

階段を上がったところ、境内入口には、アーチ型の大きな石門があります。

石門の上、真ん中には、六文銭の彫刻が施されており、このアーチ型のものは最近作られたものではなく、建立年は不詳ですが、創立当初からあると考えられています。

アーチをくぐってすぐに目が入るのが、六文銭が入った香炉になります。
ここがいかに真田家と繋がりがあるかが感じられる雰囲気です。

入って左手後ろに鐘楼があります。
周りの木々は枝垂れ桜で、4月下旬になると階段上のアーチから鐘楼周りは数本の枝垂れ桜で覆われお茶会などが開催されます。

本堂前には、大きなわら馬が置いてあり、そこにおみくじや絵馬が飾られ、毎年、このわら馬と一緒にお焚き上げをされるそうです。

このわら馬は、2016年に放送されたNHK大河ドラマ「真田丸」の当時放送に合わせて行われた「真田の郷新年祝賀祭」の一環で作られ、それから毎年、このわら馬が作られ展示されるようになりました。

本堂は、平日の参拝者が少ない際は、虫や動物対策のために閉じられています。
御用の方は、好きに開けて参拝をすることができます。

開けると、そこには賽銭箱やおみくじがあり、御朱印もこの右の方に置いてあります。
御朱印を求められる方は、諦めずに、開けてみて探してみてくださいね。

目当ての真田公のお墓は、本堂の右手、奥の方の山の中にあります。
右手にまわると、そこには150センチ程の高さの通り穴があり、そこをくぐって進みます。

くぐると、小さな庭園があり、池の水は、小さな葉っぱで埋め尽くされています。
遠目で見ると、まるで、お茶会に出されるお茶のようです。

庭園の左側に進み、山道を進むと、そこにはたくさんのお墓があり、真田公のお墓は、この階段真っすぐ進んだところにあります。

到着しました、庭園から50メートル程でしょうか。そんなには遠くなく、すぐにとお着しました。

右手には、真田幸隆・真田幸昌の墓と記されています。

お墓の周りは厳重に閉められていて、直接、お墓に近づくことはできません。

写真の中央が真田幸隆、左が真田幸隆夫人、右が真田昌幸のお墓です。

お墓の前には、真田公の六文銭に見立て、硬貨6枚が置かれています。

また、お墓の左側には、真田幸村(信繁)の供養塔が建てられています。

長谷寺と長国寺について

松代にある長国寺は、徳川方に付いていた真田昌幸の長男「真田信之」が上田に戻り、その後、元和8年(1622年)の松代移封に伴い、真田家の菩提寺であった長谷寺と住職と共に、真田信之が松代に移ったことにより長国寺が建立されました。

その際、混合を避けるため、同じ読みで1文字を変えたことから、長国寺という「谷」から「国」に変えた名前が付けられています。

長国寺には、真田信之の墓があり、本堂屋根には、松代城のしゃちほこや真田家の家紋である六文銭が飾られています。

長谷寺に訪れたら、是非、松代の長国寺にも足を運んでみてはいかがでしょうか。

長谷寺のアクセス

住所:長野県上田市長4646
電話番号:0268-72-2040
アクセス:

 



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